土曜日曜と母のところに行きました。母は元気でいます。

うちの患者さんからも母に対しての差し入れをいただいたりで、この場をお借りして御礼申し上げます。

ありがとうございます。

 

 

治療にいらっしゃる方が自分の親の時の参考になりますとお声もいただいたり、同時期に認知症の親を見ているので励みになりますとお話もいただき、僕も認知症の方を見ている方のブログを読んで共感したりしてるのですごいよくわかります。

 

なにか自分だけとかこんな時にどうしたら??と思う事は多々あり、これが兄弟とか親戚とかに聞けないんです。

理由は温度差です。

 

 

親に対しての温度差がかなりあり、施設にいれたらそれで終わりという方も多く、いいとか悪いとかは言いたくないですし、なにが正解かもわかりません。

 

時代が時代なら姥捨て山なんて事も現実にあったと聞きます。

現実にあったとしたらほんとにひどいことですが、正しい正しくないはその人の心以外にはありえません。

法律がもしあって姥捨てをしないといけない法律だったらどうでしょう?

 

 

そうできる人もいるでしょうし、法律がすべてだと思っている法治国家の日本国民は多いので捨てることが正しいと判断するのかもしれません。

 

親に対する温度差はものすごい感じるわけです。

 

認知になり、施設を探さないといけなくなった時に、どっか精神科とかでいいんじゃない?と考える人もいます。

薬漬けになり、夜も昼も薬で眠らされ、そのうち現実も、夢もわからなくなり意識は遠くここになくなっていく人を何人も精神科で見てきました。

 

認知症なんだから仕方ないでしょう?

 

そう思えますか?

そう考えられる事のほうが僕にとっては不思議です。

 

一回目の骨折の時に医療センターでは、妄想というかせん妄がひどくなり、担当した整形外科は精神科の転院を勧めますと電話してきました。

 

骨折して一度も入院などしたことのない母にとって、意識するしないにかかわらずショックだったはずです。

せん妄もでるのも当然ですが、医師は精神科以外にはこちらからは探せませんので。

 

今思えばひどい話です。

 

一人で必死に精神科以外の選択肢を思い、リハビリテーション病院へ転院してその後に老健施設を見つけ出しそこに入所することがなんとかできたのです。

 

 

毎日毎日施設探しの毎日でした。