今日は午前中に銀行や法務局にいき、その帰り道に母のところに面会にいきました。

もうすぐ昼ご飯という時間ですので、はやめに帰ろうと思っていたんですが、みんなで棒倒しのようなゲームをしています。

 

僕もさっそく参加して一緒に遊びました。

母も大笑いして楽しんでくれていました。

 

 

笑うことなどなかなか年齢もいくとないものです

世の中のすべてを知り尽くししてしまったようなそんな感じもあり、こちらもどう話をしたらいいのかわからなくもなります。

 

今朝、ユーチューブを何気なく見ていたら、サハリンの旅行をしてる方の動画がアップされていました。

父が幼いころ、北海道に渡る前に住んでいたのはサハリンの豊原。

当時は樺太という名前で呼ばれていました。

 

父が生まれただろうと思われる島根、渡った上海。

おそらくそこからどうやってか移動したサハリンの豊原。

 

その後に船で北海道に渡り、移住したのです。

 

僕は父の足跡をと思い、上海の大学に留学しました。

その後サハリンにいこうと思っていましたが、サハリンはロシア領です。

いけないことはないのですが、この旅行記の方も一度ロシアに捕らえられ、監禁されています。

釈放まで数日かかり、スパイ容疑でもなんでもなく、釈放されたようですが、彼がこう言っています。

 

その直前に友人とサハリンの話をラインでしていて、友人がロシアの悪口を散々書いていた。

それを翻訳ソフトで翻訳されてしまったら、ロシアにはスパイ確定できっと終身刑だろう。

今回はメールだけでラインを見られなかったようだと。

 

油断できないのです。

 

もし行けたとしてもこういう現実が目の前にあります。

 

父がどんな思いで豊原の街に降り立ったのか・・・胸が熱くなる思いがありますが、僕は一生のうち動けるのは残り20年あるでしょうか。

その間にロシアとの関係がよくなっているのでしょうか?

 

そんなことを考えながらユーチューブでのサハリンの街並みを見ていました。

 

街並みは北海道のようなロシアのような近くで見るとやはりロシアの街並みです。

どんな事を少年だった父は思い、考えていたのか。

 

いつか行きたいと思いながら、動画を1時間ほど見ていました。