今日は母のところの顔出しをお休みしました。

毎日行くようにはしていたんですが、母があまりにも心配していつも来るような事をやめなさいというのです。

 

 

いやいや、いいんだよと言っても、そんなにここに来るんじゃない。自分の時間を大切にしなさい。との教えに一応、一日くらいはいかないでみようかと思っていました。

 

 

年寄の言う事は聞くもんだよ、あんたもさ、年寄になればいろいろ言いたいことが若いものに対して出てくるものだ。そん時には聞いてほしいと思うだろうさ。

 

 

確かに年をとると若いものよる優れてるものは経験があります。

その経験からの意見は聞いた方がいいということなのでしょう。

 

 

今日は素直に聞くことにします。

 

 

高校の時はテニスをしていました。心臓が悪くても運動部に入る事に反対をしなかった母は親としてすごいなと思います。

反対されていたらその反対を押し切って入る事はなかったかもしれません。

 

が、高校の3年間の貴重なテニス部での経験も存在はしません。

 

全道にいき、その全道大会で入賞もしたときも母は黙って話を聞いていました。

 

大学では厳しい部活を避けて、サークルのお遊び程度のテニス部に入りました。

 

友人たちはみな、テニス部にはいるように僕に進言もしましたが、僕はサークルでいいと断りました。

 

理由を聞かれても遊びたいからとしか返答はしませんでした。

怒って、言い合いになったこともありました。

でも、体の事をどうしても言えなかったのです。本音はいつも言えるとは限りません。

言えないことだってあるんです。

 

軟弱なテニスサークルはテニスを冒涜しているとも言えました。

お遊びでやるテニスに、テニス部だった僕はサークルの仲間と距離を置き始め、とうとうサークルに顔も出さなくなってしまいます。

 

その頃は実家をでて一人暮らしをしていました。

 

一人暮らしをしなきゃいけなくなった理由も以前書いたことがあります。

父が、俺の言う事を聞けないやつは一緒に住めないと言われた事が端を発していました。

 

これからはお前ひとりで生きていけ、俺の前に顔を出すな。

 

19歳の息子に父が言った言葉です。

 

理系だった僕が勝手に文系大学に入ったからです。

 

それでも学費は出してくれました。

当時の学費は年間で30万とか40万くらいのものだった気がします

 

そんな時代でした。