今日も快晴の札幌です。

30度は越えたでしょうか?

 

 

昼休みに今日はパソコンのネットワークの工事があり、僕はいつもの母のところにも昼休みいけるかどうかと思っていましたが、途中で工事を見守ることもなく抜けてよかったみたいで、母のところに無事にいってきました。

 

今日はみんなとお話中でしたので、それを見て帰ろうかなと思いましたが、介護士さんがあら、息子さんがいらっしゃったよ!と大声で伝えたもので部屋に母を連れて一緒に部屋に戻りました。

 

 

今日はなに?どうしたの?

 

ううん。いつもの昼休みに来ただけだよ。

 

え?いつもこないのに・・・何かあったかと思うじゃない?

 

やはり毎日来てることは覚えてはいません。ここは認知症らしいです。

 

 

久しぶりに顔を見た感じかな?

 

うん。もう一か月かな。久しぶりだよ、あんたと会うのは。

 

そうだね・・・おやつもってきたから食べようか。

 

 

途中でお菓子を買ったのでそれをもってきました。

 

あ~おやつね。ありがとう。半分でいいからはんぶんこしよう。

 

母はそういうと、僕に半分を渡しして、食べ始めます。

 

そういえば、この間言ってた、貝殻島の話・・・歯舞諸島だったかな。

 

貝殻島?なんでその島をあんたが知ってるの?

 

この間言ってたような気がしたけど。

 

言わない言わない。ここの島に行ったことはあるんだけど、人生の中の一瞬だった。私の母がご飯を作りに行く仕事で行く事になっただけ。

 

うんうん。そう言っていたね。

 

貝殻島だけじゃない。その頃は福祉制度もなかったからね、国に保護なんて制度もなかった。

だから、働けないものは食わないでいることしかできなかった。あんたのおばあちゃんは、なんの資格もあった人ではないからね。喫茶店を自分で経営していたくらいに、食事は得意だったからね。だから家政婦的な仕事ばかり探していた。

 

うんうん。

 

裕福そうなおうちを見ると自分で売り込みにいくんだよ。ごはんを作りますので毎日来させていただけませんか?と。

 

え?そうなの?

 

そうだよ、そういう事しか生きる道はなかった。根室や、釧路の漁港で捕ってきた魚を干したり、漁網の修繕の仕事をしていたこともある。私が小学、中学のころはそんな事も手伝ったものだよ。

 

その頃の日本はきっと社会福祉も充実はしていなかったのでしょう。

 

時代でした。