母のところにいくと、母はあ、よかったといいます。

これはやばいかもの合図です。

 

今まで、あ~よかったと言って話の展開が、ちょうどいいところに来た、私を連れてかえってちょうだいという話になったことがたびたびあります。

 

今回もそうだろうか?と思うと、よかった!早く帰ろ、こんなところに長く居られないから。

 

やはりそうです。

 

帰りたいと言い出します。

 

 

どこに帰りたいの?

自分の家?

 

うん。そうだよ、自分の家以外に帰りたいところなんてあるわけないでしょ!

 

 

認知症は時間の観念ももはやないのです。自分の家があったのはもう5年以上前。北区に母と父が一軒家を建てて30年以上は住んだのでしょうか。

その頃の家は解体して土地を売ってしまい、もう他人にわたってしまっています。

 

母と父が建てた家は僕は家をでてから建てたので、幼少期も学生時代も併せてそこに住んだことはありません。

 

一度だけ、というか僕自身が心臓の手術をしてそのころに、1年間とか、仕事を始めたときに1年間とかそんな感じで住んだことはありました。

 

一階が車庫で、二階三階が住居になっているその時代の流行りの住宅です。

 

孤児だった父がなんにもないところから、家まで建てれたのは小さいことかもしれませんが誇らしい事です。どこかの会社でずっと雇用されたわけでもなく、一人会社を作っては倒産、また作っては倒産。

何度もその状況を幼少期であった僕は見てきたのです。

 

母が帰りたいという言葉を、他の方が聞くとただの認知症の高齢者がまたなにか言い出していると思うかもしれません。

でも、父を支えてきた母は、きっとその月の住宅の支払いに窮することもあったでしょう。食べることにも困った事もあったはずです。

実際に、父は数年間の消息不明になり、その間は母が幼い子供を一人で育てていたのです。

 

その家に帰りたいという言葉を特別な思いで聞いていました。

 

あ、あんたは仕事でしょ?もう時間じゃないの?

 

うん。もう2時になるから午後の仕事に行ってくるね。

 

突然我に返ったかのように、仕事に行けと言い出します。

 

午後もがんばって仕事しなきゃね。

 

ありがとう。行ってくるね。

 

そう言って帰ってきました。