母はいつもの落ち着きを取り戻していて、昨日の退院後にどうしたらいいの?という話は今日は一度も出ることもなく、会話できました。

 

ゴミ箱を見ると、セブンイレブンのシュークリームの空き袋がはいっています。

きっと誰かきてくれたのでしょう。

 

母に聞くと誰も来てないよ、あんた以外に来る人はいないよ。といいます。

 

でもさ、ゴミ箱にはお菓子の袋が入ってるよ、誰か来たんじゃない?

 

 

いやいや、だれもきてない、誰かがここに捨てたんだよ、勝手に入ってきたんだ。

 

そんなことはないでしょう、ゴミ箱はそれぞれの室内に設置されているし、食堂にも廊下にもあります。

でもこの話をこれ以上続けても、きっと不愉快になることでしょうからここまでにしておきます。

 

母をこの円山地域の施設に限定して探したのは理由があります。

それはこの30年の間、母は僕の鍼灸整骨院の最初は受付に、次第に裏方にはなりましたが、働いてもらってきました。

30年と言えば、カルテ番号が6000とかになりますので、軽く見積もっても6000人は来ていただいたのです。

その半分以上は母と接したはずです。

その誰かが、施設にきてもらったり、どこかで会って話をしたりってことがないかなと思っていたのです。

 

認知症はだれかと毎日接して会話することが大事です。

 

そう思ってこの地域を選んだのです。

 

もしかすると、誰かがきてくれたのかもしれません。誰かわかれば、お礼のお電話でもメールでもしたいところです。この場をお借りしてお礼をと思います。

ほんとにありがとうございます。

 

 

円山で開業したのは、もともと僕が隣町の宮の森にある宮の森記念病院という脳神経外科に勤務してたことから周辺の開業地を探したという理由があります。

それともう一つ、もう50年も前になると思いますが、父のお友達で医師の三宅医師(循環器内科)のお父さんが裏参道で内科医院を開業していたそうです。

円山という地域は商売はほんとに難しいところだが、そこで出来たら日本でならどこでもできると思う。

あそこの地域の人は簡単に新しいところにはいかないが信用するとずっと通うんだよ

 

そんな話を聞いたからです。

それなら挑戦してやろうじゃないか。

 

まさに若気の至り。失敗をなぜ恐れなかったのかと今となっては思います。