母に北方領土ってどんな島だったの?と聞いてみました。
すると、昔は仕事が簡単には見つからなかったんだけど、歯舞や択捉ではおばあちゃんがごはんを作る仕事があったんだよ。
うん。ごはん?家政婦さん?
いやいや、飯場ってわからないだろうけど、日雇いみたいな労働者がたくさんいてね。その労働者にご飯を出す仕事さ。
北方領土はその頃は港湾作業や、道路建設とかで活気があったんだ。
ただ、泊るところをプレハブみたいな掘っ立て小屋で作ってそこにご飯を出す食堂みたいなところがあって
そこで働いて3食出す仕事があったんだよ。
なるほど。
おばあちゃんは前は東京で喫茶店をやっていたから、ご飯は得意でね。
うん。そうだろうね。
それで、そこでご飯を作る仕事をしていたんだよ
お母さんはそこについていったんだね?
うん。そうだよ。まだ小学校に上がるか上がらないかくらいの年齢だった。
学校は?島にはなかったんじゃないの?
国民学校があったんだよ。小学生も中学生も関係なく、なんか習うみたいな学校だった。
そこに行ってたんだよ。
そうなんだ。
ここら辺は母は記憶があいまいなようですが、国民学校があってそこに行ってたという事らしいです。
事実なのかどうかわかりません。
でも、昔の話を思い出しながら話す事は脳の活性化にもいいはずです。
何年いたの?
3年?かな、4年かな。もう忘れたけどそのくらいだった。
冬は寒かったでしょ?
あまり覚えてないけど、寒かったね。根室はそもそも寒かったから。そこから先になるからね。
そうだよね。寒いと思うよ。
話しを総合すると、母は根室に小学校低学年時代はいなかったことになります。
北方領土の国民学校に上がったはずです。
その後、何年生になったのかわかりませんが、根室に帰ってきた。
根室に帰って、小学校に転入学したのでしょうか。
そんな感じの話になるはずです。
知り合いも誰もいない根室の小学校に転校したからね。最初は寂しかったよ。でも子供時代はすぐに誰とでも仲良くなれた。
もう思い出す事もないと思っていた話だったけど、よく聞いてくれたね。
もう80年以上も前の話さ。だれももうあの頃の人は生きていないかもしれない。
こんな風になるなんて、考えもしなかったよ。
母の目は遠くを見ていました。
