大学生のころは、高校の時に部活動をしても大丈夫だったことから運動部系にはいろうと思いました。

それまで小学校中学校と体育も見学しかせず、小学生のころの運動会は見学しかしなかったというのに

いきなり高校ではテニス部にはいり、先生には心臓が悪いこともひた隠しにして3年間を過ごしました。

 

一度2年の時の担任に中学の調査票をみたらしく職員室に呼び出され問いただされたことがあります。

 

おまえは心臓が悪いんじゃないのか?体育も見学ですごしてきたんだろう。調査票に書いてあった。どうして今はやっているんだ?

 

 

聞かれた事がありました。

 

もう大丈夫だとは言えませんが、自分で判断はできます。ダメだと思ったら辞めます。それくらいの判断はできます。

 

そうか・・・おまえがそういうのならこれ以上は言わないし、体育の先生にもこっちからは言わない。でも、ちゃんと判断をするんだ。無理はするんじゃない。

 

2年の担任の先生は息子さんがいました。高校は違う高校に通っていましたが、同じ年齢でした。そこの高校に通っている友人に行くと優秀な高校生だよと言っていました。

 

母も父も、中学までは口うるさくは言ってたものの、高校にはいってからは自分で判断するようにという事なのか、何も言わなくなりました。

 

僕にはそれくらいが心地よく高校生活を楽しく過ごせました。

 

結果として硬式テニスでは全道16位の成績を残し卒業しました。

 

やり遂げた感が僕にはありました。

 

小学校中学校と体育もまともにしてなく、外で遊んだこともなかった子供が、高校とは言えベスト16に入るくらいの成績を残せたのです。

 

バスト4に残ると当時は大学の推薦入学ができたようです。

 

年齢は違いますが政治評論家になった杉村太蔵は、藻岩高校で硬式テニスベスト4くらいまではいったようです。

 

大学に入学後、相変わらず硬式テニスをしながら、マリンスポーツなどもやり運動三昧のふつうの大学生活を送りました。

しかし、じょじょに心臓に負担がのしかかり、予想以上に心臓の持病は悪化しはじめてしまったのです。

 

 

大学4年の就職の時期になり、筆記試験で合格して健康診断になったときに、初めて事の重大さに気が付きました。

 

健康診断をした医師は、すぐに大学病院にかかりなさい。紹介状は書くから札幌医大に行きなさい。

 

そういわれ、札幌医大の第2外科にかかるのです。