昨日いらした患者さんから、一冊の本をいただきました。

その本には、認知症は最後の子育てと書いてあります。

 

認知が進んでいくといわゆる恍惚の人になります。

まあ、周囲の環境の変化から自分の感情も動かなくなります。

ここのところ、会話はしていますが体を動かすことや、立つことなど動作をすることがめっきりなくなってきました。

 

少し立つ練習をしようよ。

 

 

いやだよ、もうなにもかもが面倒になった。ここでじっとしていたい。

だからあんたが何かを強要するのならもうここには来ないでいい。顔を見せに来るだけならいいけど、こうしろああしろはもう言わなくていい。

 

 

そうか・・・ごめんね、そんなに嫌だったかな?

 

あんたが、私のためにと思うのはいいことだろうし、うれしい事だよ。でも、もうこの年だよ。もうここで死んでもみんな長生きしたねという年齢になった。

だからこれ以上は負担になることもしたくない。

立ち上げることも、歩くことも。

 

人間はいつかは終るんだ、その終わりにすべての人は向っているんだよ、その終盤に差しかかってきてる人にこれから歩くことや立つことを教え込んでなにになる?

だから私はこれでいい。

これで朽ち果てていくことになるだろうけど、それでいいんだよ。

 

人生は始まりもあれば終わりもあります。

人間はみなその終わりに向かって生きていってるわけです。

僕もその途中でしょう。

ゴールが近くなってきたときに、その人に何をしてあげるといいのでしょう?

90歳を超えてきた人になにを差し出せるというのでしょうか?

 

黙って考え込んでしまいました。

 

あー、もういいんだ。考えないでいい。悪かったね、考えさせちゃったか。明日は明るい顔を見せておくれ。さ、仕事に戻りな。

 

うん、わかったよ、また明日ね。

 

毎日、考えることが多いのです。寝る前にも考え込む時間が多くなりました。

ここで書くことでいろいろ整理しているつもりです。

 

だんだんと整理もつかなくなってきてしまいました。