札幌も来週には30度になる日があるという話です。

母は暑さに弱く、いつも夏には元気がなくなっていました。

なので、さっそく今日は扇風機をもっていきました。

といっても新品ではないので、僕のところで数年使っていたものですが壊れているわけではないので、まだまだ現役です。

 

 

母はちょうどお風呂にはいってる時間でしたので、扇風機をおいてセットしただけで僕はかえってきました。

lきっと母は扇風機が置かれていることに気が付くこともないし、気が付いても最初からあったと思う事でしょう。

まあ、それでもいいのですが。

 

 

僕は大学を今から考えると3か所行っていますが最後だけは卒業できていません。

臨床心理をやろうと思ったのですが、3年半ばで挫折してしまいました。

志が折れたのではないのですが、仕事をやりながらの精神科実習ができないことだったのです。

実習期間が二か月ということで二か月休むことができなかったのです。

 

 

最初の大学は商学部でした。

今とはまったく違う志をもって入学したのです。

 

時代は1990年代。

日本はバブルのさなかで好景気でした。

もともと理系を目指していたものの、商社を夢みて自分で最終的には海外との貿易商社を作ろうという夢を抱き、商学部を目指して商社にはいろうと思ったのです。

 

貴金属を輸入する貿易商社をやろうと高校生の時に思い、商学部を志しました。

 

テレビの影響です。

テレビで日本の商社マンの活躍の特集をやっていました。

 

三菱商事、三井物産、伊藤忠、丸紅・・・・

 

数々の商社があり、海外でドラマチックに働く日本人をみて、自分の求めているものがある気がしました。

世界がきっと俺を待っている。

そんな気分に商社マンの特集をみて思いました。

 

夢を追えたのです。

 

その後は大学を卒業して、違う道に進んでしまっていますが、今でも夢を見ます。

 

夢をあきらめなくてはいけなかった理由もあり、それは致し方ないことでした。

 

母はその時に、夢はまた見れるから、次の夢を見ようと言ってくれたのです。

 

その言葉に救われた思いがしました。

 

僕は次の夢を見ることにしたのです。

 

20歳代の前半のころにはとてつもなく、重くとてつもなく大変な決断だったのです。