父は晩年は選挙が好きだったのか、ずいぶんと政治に興味をもっていました。
おそらく50歳台のころに、とある衆議院議員の後援会の役員になり、後援会長ではなかったものの、ずいぶんとその議員のために奔走していました。
父に聞くと男のロマンだと笑いながらいい、僕もそんなものがあるのかと思っていました。
僕は当時30歳台
保険医療問題にかなり違和感を覚えて、その発言をいつもしていたら、業界の中央に知られて中央役員になり、いつの間にか全国の役員理事になっていました。
父が自民党の後援会をやり、自民党員になり僕も東京の全国会で自民党の議員さんと折衝をしていくうちに自民党に入党するように促され、自民党員になったことがあります。
父がどんな事を望んで自民党を推して自民党員になったのかとうとう聞けず仕舞いで亡くなってしまいましたが、僕は鍼灸の健保を認めること、病院内で東洋医学を使った医療を行う事一択でした。
40歳代になったときに、国を相手取り裁判をしました。
国家賠償裁判。
今考えると失敗でした。
本来裁判手法というのは、不利益を被った国民が国家賠償請求をすることが国賠の裁判です。
しかし、僕は不利益を被った本人ではなく、鍼灸を提供する側でした。
その方法が敗訴になることにつながるのです。
しかも、控訴もしてしまい、東京高等裁判所に棄却されるのです。
最高裁に持ち込もうと考えたときに、業界団体から止められるのです。
渡邊を野に放しておくと危険だといわれ、業界の危険人物と言われ始めましたし、嫌われ者といわれるのはこのあたりからでしょう。
もし最高裁で、鍼灸は健康保険に適用にはなじまないという判決がでてしまったら、この事例を消すことはもはやできなくなるのです。
そうなると、未来永劫に健保は使えなくなるかもしれません。
当時僕は血気盛んでした。
それならと思い国会議員に陳情して法律そのものを変えようと考えて国会議員に陳情を繰り返しました。
いわゆるロビー活動というやつです。
しかも、国会議員は見返りがないことはしませんし、それが本当に国民のためになることなのか?という事を証明する必要がありました。
国民のうちに鍼灸にかかる人は全人口の5%
それで成り立っているのが鍼灸なのです。
国会議員がそこに注目するわけありません。
こうして今の世ではだめだと悟るのです。