銀行周りの合間に、母のところに。
母はあら、久しぶりねといいます。
ショックでした。いくら認知症でも毎日のように顔を出しているのにどういうこと??
そう思ったものです。
今では、慣れたというかそこで昨日も来た事を理解させることになんの意味もないことや、今の会話が大事であり、昨日でも明日でもないことがよくわかるようになったのです。
昨日の会話に意味はなく、また明日の会話につなげることも意味はないのです。
今、この時を楽しく過ごせれば。
それが認知症の高齢者との接し方です。
うんうん、久しぶりに寄ってみたんだよ。
今日は仕事は?
仕事はこれからさ、今は銀行に行ってる合間なんだよ。
そうなんだ。銀行も大変だね。
うん、月末になると振り込みもあるしね、今はインターネットで半分以上は振り込みが終わるんだけけどね。
インターネットね。昔はなかったからね。
うちの支払いは、月に20件あるかないかですので、それほど多いわけじゃありません。
母の認知に気が付いたのはもう、十年は前でしょうか。
振り込みを母にお願いしていたのです。毎月毎月の支払いです。
母は、嫌がりもせずに、うん行ってあげると喜んでいってくれたのです。
あるときから、数件の振り込みが間違いが多くなり始めました。
金額の間違い、振込先の間違い、口座番号の間違い。
振り込んだと思っていた支払先から、今月の支払いがまだ来ていないと連絡もあることもありました。
え?どうして?
認知だと思っていなかったころは、母を問い詰めました。
なんで間違ったの?金額と口座番号。いつも同じところなのに。
ごめんね、ごめんね。どうかしてたんだね。ごめんね。
それ以上言う事もできすに認知症を疑いはじめていたんです。
今まで一番つらかったことは、母を仕事から一切外す決断をして、母に伝えたときでした。
もうさ、今月から支払いとかしなくていいよ、僕がするから。
え?あんたが出るのは大変なんじゃないの?
ううん。頑張ってみるよ。だからしばらく家でのんびりしてて、こっちに来るのもだんだんと大変になってくるしさ。
あんた私に来なくていいって言うの大変だったでしょ。首を切るって大変だものね。
首切るっていうわけじゃないんだよ
ううん、いいの。わかったよ。
もう20年はたちます。
