父の命日も3日に終わり、今年もお墓に行ってきました。
母はもう行くことはできないでしょうし、僕が母の気持ちも伝えに行くことにしています。
いつかは僕も行けない日が来るでしょう。いつの日かはわかりませんが、そう遠くない未来でしょう。
母に命日だったんだよと、言うと日本人はなんで死んだ人をそんなに大事にお参りなんてするんだい?
亡くなった人になにかしてもらうことはもうないだろう。害もなければ得もない。
母らしい理屈です。
母は無神論者です。この世に神も仏もいない、そんなものいるのなら戦争も飢えも犯罪も無くなっていかないといけないし、人間はずっと古来からそうなることを望んできているのにひとつも叶ってないじゃないか。
そんな事をいいます。
逆に僕は神仏を崇拝する信仰心は厚いほうです。
親子でこんなにも考え方は違うんだなと、今日話していて思います。
なぜこういう考えの母親から、僕の様に信心深くなったのでしょう。
まったくの謎です。
思えば、母は僕が心臓が悪いことがわかった幼少期に、新興宗教に入信しています。
きっと藁にもすがる思いがあったのでしょう。
その藁にもすがる思いを利用する宗教もあるにはあるでしょうし、その気持ちは宗教団体の中での
活動する力にもなりえます。
母はきっと一生懸命にやったはずです。
結果をして自分でそういう考えになったのならそれはそれでいいでしょう。
僕は僕の考えがあります。
あんたは昔からそうだった。神様や仏様をとても大事にして敬っていた。それはそれでいいと思う。しかし、子供は子供、親は親。私には私の考えもある。
亡くなった人にはなにもしない。どうせ灰になって消えて無くなったんだ。そこで終わりだ。
人間なんて死んだら終わり。
僕はさ、死んだら終わりって思っていないんだよ。僕の方がきっと理想を追うタイプなんだよ。
そこから先にまた別の人生があるような気がしてて。
それはそう思えるのならいいことだよ。死も怖くないだろうさ。
私はさ、怖くはないけどそこから先にとは思ったこともない。若いころには思ったのかな。
自分の残りがもうわずかになってさ。夢を見ることもないさ。でも、あんたのように死んだ先を考えれるようになるときっと世の中変わるね。
あんたは理想的なものの考えだと思う。いいんだよ。
そういって笑っていました。