母のところにもっていく食べ物を選択することが最近では難しく、母はなんでも大丈夫だろうと思っていたのに違ったんだなと思い始めています。
というのも、父は食べ物に生前うるさい人でした。味が濃いとか薄いとか、おいしいとかおいしくないとか新鮮か新鮮じゃないのか。
うるさいくらいに子供のころから言っている人でした。
弟が似たのか、おいしくないと食べない、手を付けないということが頻発してました。
僕はというと、母に似たとばかり思っていたんです。僕は作ってくれた人の思いを大事にしてしまって味は二の次でいましたので、母が作ってくれたものはどんなものでも食べてきました。
それがおいしいかおいしくないかは別でした。
ただたまに腐っているのではないか?というときはこっそり捨てたりしたことはあります。
僕のこの食べ物に対する感覚はおそらく母に似たのだろうと思っていましたので、母はなんでも僕がもっていくものを食べてくれるとばかり思っていたのです。
それが90歳を超えて、おいしくないものは食べたくないといわれるとは驚きでした。
そういうことを言う人ではないと思い込んでいたのです。
僕もおいしくないものはおいしくないから食べないというようになるのでしょうか?
母は料理と掃除が苦手でした。
料理が苦手というのは、するのが苦手でしたくないというわけではないのです。
味音痴と言ったらいいでしょうか?
おいしく作れないタイプでした。
魚を焼けば、日の加減が強すぎて焼きすぎて焦がしてしまう、目玉焼きを焼くと目玉焼きなのか卵焼きなのかわからなくなる、要するにぐちゃぐちゃにしてしまう。
ごはんをたくと水加減が悪すぎでおかゆになってしまう。
これに父と弟大反発して、いつも母に怒っていました。
僕は食べれるからといって、焦げた魚の皮をとったり、焼きすぎた餃子の皮から餡だけを出して食べたりしていました。
確かにおいしくはありませんが、食べれたのです。
せっかく作ってくれたのですからそれを無碍にはできません。
そんな毎日でした。
とうとう僕が中学生のころに、母はご飯を一切つくらなくなりました。
父と弟が、こんなまずいものを作るのだったら作らなくていい、毎日スーパーの総菜にしようと提案があり、母はもう作らないと宣言をして料理を一切をやめたのです。
それからは総菜の生活になりました。