母のところに今日は午前と昼と二回行きました。

一回目はお風呂に入っていたので会えずに帰り、二回目にやっと会えたというわけです。

 

お風呂に入っていたんだね?午前にきたんだよ。

 

嘘いうんじゃない!午前に風呂なんてはいってないよ。

 

 

髪の毛がさらさらしてるから洗い立てじゃない?

 

いやいや、私はいつもさらさらだから区別できるわけない。

 

 

母は入ってないと言い張るので、もう合わせることにします。

 

介護士さんに、今日は午前にもいらしてましたねと言われて、母はやはり本当なんだね・・午前にきたんだとびっくりした顔。

 

あんたさ、こんなところに同じ顔を見るんじゃないく仕事をしたらどうなの?こんなところに出入りしてもダメだよ。あんたは技術者なんだから技術を発揮しなきゃもったいない。

 

うんうん。これから行くんだ。今日はこれからがんばるね。

 

うん、そうだよ。たくさんの人を治療してきて。

 

そういわれ、戻ってきました。

 

時間にしたら10分くらいでしょう。でもこの10分でも大事なんです。認知症には必ず人との交流が必要です。

考えてもらうことも必要なんです。

 

祖母は認知症になる前の75歳くらいで亡くなり、父も認知症になる以前の79歳で亡くなりました。

なので、認知が遺伝的要素があるのかわかりません。

91歳まで来たのは母一人です。

 

母は70歳を過ぎたらさ、もういつ亡くなってもいいんだ。人間として活躍できるのは60歳代までだよ。

 

そういう持論をいいます。

 

私は60歳代までは精一杯生きたと思ってる。自分の親にも子供にも。

70歳代からはのんびりと過ごそうと思ってたけど、あんたの治療院があった。

この10年はなんにも考えずにこれたよ。

 

 

あんたもさ、今は精一杯やりなよ。もう少しだ。そうしたらゆっくりしたらいい。

好きなことをしてさ。

 

 

母は先日も書きましたが、僕の心に響いた言葉があります。

 

敬老の日に母がいった言葉です

 

高齢者はさ、どこで寝ても、どこでオシッコしてもとがめられることはない。認知だもの。いいんだって。好きな時に好きなように寝る。

それがやっと認知になってゆるされるようになったんだよ。もうどこで寝ても文句言わないでおくれ。

 

この言葉が寝る時に頭の中に響いていました。

夜は寝るもの、昼は起きるもの。

この概念は間違っているのかもしれません。