今日は午前はいつものように母のところに顔出しして、それから自分の所用に行ってきました。

認知になってから、母は他の同じ施設の人と話をしようともしないし、一緒に介護士さんがみんなでゲームをしたりしててもそこに参加することもまずありません。

 

 

母に、なんでみんなで話をしないの?と聞くと、馬鹿な人たちと話しても通じないからいいんだと言います。

 

 

みんなで話して楽しく会話したりしたら?どうかな?

 

話が通じないし、話しかけてもかえってくるかどうかもわからない。なんかさ、こういう施設って自分が入ってていうのもなんだけど、バカばっかりだよ。自分もそうなんだろうけど。

 

 

うーん。そんなこともない気がするけど。どうなんだろうね。

 

あんたも一日いたらわかるよ。同じ話を繰り返してする人や、この間は自分の母親が生きてるって言って今日は死んでるって言ってさ。ちんぷんかんぷんだよ。

 

うんうん。それはあるかもね。

 

私はさ、その場限りの話とかって好きじゃないし、会話にならないもの。だから施設は嫌いだよ。

 

そうか~。まあ、話す気になったときでいいんじゃないかな。話したくないのなら話さないでいいし。

 

うん。それでいいと思ってる。

 

 

母は、こうして話をするとまともそうですが、グループホームというところは基本的には皆さん認知症の方が入られているところです。

そうしてその認知症にも程度が様々あります。

10段階にわけるとすると、母が2もしくは3で、5の人もいれば7の人もいる。

低度が違うんです。

 

2か3であってもそのうち進行はするでしょうから、7とか8になる日がくるでしょう。

レベルの違いによって施設が違うという事にはならないのです。

 

もっと意識状態が悪くなれば特別養護老人ホームもあります。

そういうところはほとんどが寝たきりです。

 

あんたは、今日は仕事にいかないのかい?

 

うん、これから行くところだよ。

 

男は仕事をしなきゃ。稼ぐためだけじゃないよ。修行っていう意味でもだし、社会に参加するという意味でもさ。

 

うん。そうだね。

 

死ぬまで遊んでいい時間なんてないんだ。男には。

 

そうかぁ。なら遊べないな。

 

遊んでダメだとは言ってない。仕事しながらでも遊べるでしょ。

 

そうだね・・・少し考えてみるね。

 

母の男性観は仕事なのです