昨日の父の教えの話の続報なんですが、ちょうどこの話を読んだ方に、お父さんの教えをそんなに覚えているなんて、立派ですね~っと言われました。

 

いやいや、とんでもないことなんです。

 

実は僕自身、20歳代のころは親に教えてもらうことなんて一つもないと思って生きてきた男性でした。

なので、父親になにかを教わったとも、なにかを指導されたとも思っていなく生きてきました。

 

父のいうことがもっともだなと思いはじめたり、そういえばこう言ってたなと、昔の父の発言を思い出しながらこうやって書いていますがそう思うようになったのは50歳を過ぎてからだと思います。

 

父が亡くなって7年。この数年間は特に思い出されます。

その言葉を発した前後の話や、言うときの表情や情景が思い出されます。

 

なぜあの時もっと真剣に聞かなかったのかとか、なぜあの時にこう言わなかったのかとか何度も何度も繰り返し思い出すたびに反芻し、夜のベットに寝ながらだったりとか長距離を運転しているときだったりとか思いだされるのです。

 

 

いわれたときには、なにを偉そうにと思っていたんです。

 

それが今になって、なぜあの時もっと真摯に聞かなかったのか、こういう思いで父は言ってくれたのにと

思うことも何度も何度もあります。

 

よく言っていたのが今を我慢するんだよ。我慢さえすれば未来はつながる。我慢できなければ未来は消える。

 

これは僕の人生後半で何度も助けられた言葉でした。

 

いわれたころの10代のころは、なにを我慢するというのだ!我慢なんてできるかと思っていたのです。

それが20歳代になって我慢しなければ耐えなければいけない事件が起きます。

心臓の手術です。

 

生きるのか死ぬのかの瀬戸際まで追い詰められたときに、今を耐えるんだ。という父の言葉が思い出されるのです。

 

きっとここを見る方も両親に言われたことなんてないなと思ってる方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも、なにかの時にきっと思い出されることでしょう。

 

あ、確か18歳の時に言われた事だったとか、23歳の時に言われたとか思い出すことがあるのです。