亡くなった父は孤児でしたが、葬式の時に皆さんの前で恒例により、故人の生まれたところから亡くなるところまでをお話しないといけません。

 

 

僕自身は語れるほど父の事を知らなく、母も断片的でした。

相続の問題や、いろいろな問題があり住所地を移っていったその前、その前と役所に電話をしてその役所から住民票を取り寄せたりする必要がありました。

 

 

最初は室蘭になっていました。

 

これも初めて知った事ですし、母もその頃はまだ認知でもなかったはずですのでいろいろ聞き出すのですがどうも室蘭の事は知らないと言います。

 

生まれは島根県だったはずです。

生後間もなく、中国上海に渡り、そこで一人残されてしまい一人で流れ着いたのがどうやってなのか港町室蘭だったということです。

 

 

室蘭からは岩内に移り住み、そこでどうやら渡邊というご夫婦に里子として引き取られていてその後は母も知ってるように釧路にいき、阿寒に住みその後は一人で東京に出て大学を卒業してまた札幌に戻ってきます。

 

 

簡単に書きますが、たった一人で大学を卒業して戻ってくるなど並み大抵のことではなかったはずです。

 

父の葬儀の際に数日かかって調べ上げて故人である父の生い立ちから今までのお話をさせていただきました。

 

 

父と僕は仲がよくなくほとんど腹を割って話したことがありませんでした。

色々調べていくうちに父がかわいそうでなりませんでした。

 

 

なぜ僕にあんなにつらく当たったのかの理由がだんだんと見えてくるのです。

 

孤児だった故に、愛情をどう注ぐのか、どうやって子供にわかってもらうのかがきっとわからなかったんだろうという僕なりの結論に至りました。

 

 

僕は父の葬儀を終え、、自分の部屋に仏壇を置きました。

 

そうして、毎日読経を始めました。

 

これは今でも毎日とは言えませんが、続いています。

 

 

あれほど大嫌いだった父に今となっては申し訳なく、せめてもの恩返しにお寺にも通い始めました。

 

 

それは今でも、きっと未来でに続けていきたいと思っています。