僕には子供もいないので、今あるお墓をいつかは閉じて墓仕舞いをしないといけないと考えています。

しかしお墓というのはだれかがお墓の管理者にならないといけないというのはなぜなんでしょう?

継ぐ人がいなければ、お墓を閉じないといけないわけです。

滝野にあるお墓は、祖父母が眠り、父が眠っています。

合同墓に入り、僕もそこに入る事になる以外は方法はありません。

難しいものです。

幼いころにこんな事は考えもしなかったし想像もしなかったことです。

父は、孤児でしたから自分のお墓を持つことにこだわっていました。

お墓を滝野に購入し、自分のお墓を持った時にはきっと感慨深いものがあったに違いありません。

そこに育ての両親だった渡邊家のお骨を田舎からもってきたのです。

当時のお骨がどこにあったのかはわかりませんが、釧路の高校を出ていますので、釧路地域なのかもしれません。

着々とこの世界に自分の生きた証を作り上げ、家を建築し、お墓も建立してきた父でしたが自分の息子の代ですべてを無くしてしまうことになるとは父には申し訳ない思いでいっぱいです。

父はいつも形を残そうとしました。

勉強でも形として残そうとしていました。

だから資格とかにこだわっていたのだろうと思います。

父は当初は設計事務所をやっていました。

設計事務所といっても建築士や設計士を雇用して事務所を運営して、本人は土地を見つけては地主から買い、そこに建て主を見つけて工場や倉庫を建てさせるような、いわゆるブローカーをしてました。

今でこそ、ブローカーというと評判があまりよくないですが、当時銀行とのツテもない、建築屋や不動産屋との付き合いもない、土地や建物の登記の知識もないという人は、父のような仕事をしている人は

救いの神でした。

それはまとめて一手にやってあげてる仕事でした。

どこでそんな知識を身に着けていたのかもわかりません。

おそらく自己流でしょう。

そんな中ではヤクザとの付き合いもありました。

住宅地だけやっているのならまだしも、ススキノや、街中の土地には目をつけているヤクザ者も大勢いたのです。

僕も知ってるだけで数件のヤクザとのもめごとはありました。

まだ幼かった僕は、それがなんなのか理解はできませんでした。

後になってわかることは多いのです。