父との話は僕の方に反省点がいっぱいあります。

 

孤児で生きてきた父の、子供に対する思いに答えられなかった事が一番の心残りでいます。

まずは、父が設計事務所をやっていながら、お金を払えない医療法人の運営に乗り出した点は、はっきりと聞いたわけではないのですが、僕が心臓が悪く生まれた事に起因していると考えています。

 

 

僕は心臓にいくつかの障害をもって生まれてしまいましたが、当時は手術不可能でした。

人工心肺も当時はそんなに性能もよくなく開心手術は並みの手術ではなかったはずです。

 

父が運営に乗り出したのは循環器の専門病院でした。

 

そもそも口数が多い人ではありませんでしたし、子供に対する愛情も見える形では出したりはありませんでした。

それでも、僕が19歳の時に入院中でガンで闘病してる祖母を東京まで迎えに行ったときには、千歳空港まで迎えに来てくれました。

仕事人間でしたので、仕事を休むという事がどれだけ大変な事だったのか、有給なんてのがある今の時代とは違って想像もつきませんが、空港の到着ロビーに父が仁王立ちで立っていた姿を見た時にはそれまでの緊張の疲れで眩暈がしそうなくらいでしたので緊張がほぐれ涙がでました。

 

 

僕が病院勤務するときには、最初の宮の森記念病院を自力で受けて、自力で受かったとばかり思っていたら、後日に病院長から君のお父さんとはたまに飲みにいく仲で、おまえの病院を受けるらしいからよろしくと頼まれたんだよと言われ、驚愕しました。

 

病院医療と、自分の目指す事との違いを感じ、自分で開業しようとして銀行にお金を借りたときも、自力で数千万を借りたとばかり思っていましたが裏では、父が融資担当の専務に電話をいれてました。

 

お父さんから電話が先日きててね。

 

そうなんですか??なんて言って?

 

息子だからといって甘く見ないできちんと事業の中身をみてダメなところはきっちり指摘するようにご指導をうけたよ。

 

すいません・・申し訳ありません。

 

いやいや、それできっちり見たうえで大丈夫であればきちんと融資をするようにと言われたよ。

 

そうでしたか・・

 

こんな会話があったのです。

 

なんの恩返しもできないまま、ここまで来てしまったのですがせめてと思い、毎日父には読経をあげて

いるのです。

あの世で会う事ができたら、きちんとお礼を言いたいと思っています。