父の話が少し中途半端に終わっていたので続けますが、父は事故後に、退院して車のない生活を数週間送っていました。

 

僕は父がまた車を買うんじゃないかと思い、先手を打ち自宅近くのトヨタ、ホンダの車屋さんに行きました。

特にクラウン好きだった父はトヨタにはいくんじゃないかと思っていましたし、担当の営業マンにも会いました。

 

 

車を父がきても絶対に売らないでほしい。

 

え?どういった理由があるんですか?

 

 

父の現在の病状をお話して家族として運転してほしくないので、売らないでほしいのです。

 

 

そういった話をしたら、わかりました。こちらにきたら売らないように会社あげて取り組みします。

 

そう言った会話がトヨタ側となされました。

 

 

 

その2週間後に、母から電話がありました。

 

お父さんが新しい車に乗ってきたよ、買ったみたいだよ

 

 

え??ほんと?

 

うん、ほんとだよ。あんたの努力は、無駄になったね。

 

急いで次の日の土曜に実家に戻ると、車があります。しかもトヨタ車です。

 

父に車買ったの?と聞くと

 

うん。買った。現金でね。

 

おまえ、下手な小細工したらしいな。トヨタの営業マンが言ってたよ。

 

そうだよ、売らないように話をした。でもなぜ売ったんだろう。

 

詰めが甘いんだよ、あそこのトヨタはうちの病院の車を常に社用車として4~5台は買っているし、

最初は息子さんに頼まれたから売れないと言ってきたんだよ、でも、もううちの法人の社用車はここからは買わないぞというと、態度が変わったよ。

 

そうだったんだ。

 

正しいことが勝つとは世の中決まってない。勝つのは常に先を読める人間だ。おまえは先を読めてない。

俺はなにもあそこのトヨタで買わなくてもよかったんだ。でもおまえに敗北感を味わせたかったからな。

ワザとにあそこにしたんだよ。

 

 

もう父は77歳くらいになっていたでしょう。僕はすでに若造ではない年齢でした。

 

でも、先読みでは父に負けてしまったのです。

 

しかし、父はこの車が生涯乗る最後の車になりました。

 

これからも事故は繰り返されたのです。

 

父が亡くなったのは79歳でしたので、この時からは2年が経過しています。

車は亡くなるまで大事に大事に乗っていました。

いつもピカピカに磨き、息子に勝ったとばかりの車を大事にしていたようでした。