僕が鍼灸をする道に行くことを一番喜んでくれたのは母でした。
あんたはだれかに使われてとか言うタイプじゃないからよかったよ。きっといつか開業するんだね。
そのほうがいい。あんたはサラリーマンじゃいられないから。
両親に大学を卒業して専門学校に行くことを決めた22歳の冬。
一番喜んでくれたのは母でした。
父は、病院経営をしていた身でしたので僕には病院の経営に入ることを希望していましたが、同時に病院の経営の難しさもわかっていましたので、無理強いをしては来ませんでした。
最初に鍼灸の学校に入ったのは決して本位ではありませんでした。
僕の心臓の疾病があったからその治療を勉強したくて行ったのです。
なのでその後その仕事をメインにしていくことを考えてはいませんでした。
大学卒業時に、母の兄の叔父は札幌の二十四軒というところでホームセンターを経営していました。
叔父に息子いたんですがも、銀行に入り東京にいったきり、ホームセンターを継ぐつもりもなかったので叔父は僕を後継ぎにどうかと思いはじめました。
でも、バイトをしてみましたがどうにも小売業が僕に合うとも思えずにとうとう最後は断ってしまいました。
そのホームセンターも数年前に閉鎖して、今はそこは生協になりました。駐車場だった敷地にはクリニックやむさしの森というカフェにもなっています。GUなんかもはいったシッピングゾ-ンになりました。
むさしの森コーヒーはたまにいくのですが、そこに行くと亡くなった叔父を思い出して、断った日のことが思い出されます。
叔父がどうしてもだめかなぁと聞かれ、すいません・・・鍼灸を勉強しようと思いまして。
そうなのか。自分でやりたいことがあるのならいいんだ。それなら別だよ。がんばって!
叔父の経営していたホームセンタートントン館は、数年はやっていたと思います。
それから10年以上は持ちこたえていました。
最後は叔父は引退をして後任に血筋ではない方が社長に就任したのをみて、やはり叔父の息子は継ぐことを拒否したんだなと思っていました。
その叔父も父が亡くなった翌々年に亡くなりました。
亡くなる前に、かずや、継がなかったこと、気にしないでくれ。ずっとお前のことなら気にしてるんじゃないかと思って。
いやいや・・大丈夫ですよ。ありがとうございます。
懐かしい思い出です。