僕には父の弟だったという叔父がいました。

父は孤児でしたので、たまたま里子を受け入れてくださった家に、子供が生まれてしまったので、血のつながらない兄弟になりました。

 

父はもう10歳、弟は生まれたばかりでしたのでいろいろと父は面倒を見たと聞きました。

その家は、お父さんが早くに亡くなり父はまだ高校上がる前だったと聞きます。

そうして、次は父が20歳代の頃に母親も亡くなります。

弟は、10代のころです。

 

父がもう仕事をしていましたので、弟を育てたと聞いていました。

おそらく、高校に上がるお金も、その後職業訓練をするのにそういう学校に入るのですがそこでの費用も父が出したのだろうと思います。

 

その弟も就職をする年齢になり、工作が趣味でものつくりを趣味としていたので、ディスプレイの専門の企業に入社し、その後今はない百貨店のそごうデパートを担当しました。ほどなくして、化粧品会社のマックスファクターというところにヘッドハンティングされ、そこの催事の飾りつけや設営、企画もやるようになりました。

 

 

この頃には僕も大学生でしたので仕事の手伝いにバイトに行き、マックスファクターのイベントを手伝いにいくようになります。

 

北海道内のマックスファクターの担当でしたので、僕も夏休みや冬休みといった長期休みは、一緒に車で釧路や函館、旭川とこの化粧品会社の催事の手伝いに行きます。

 

車で長時間一緒だったので、もっぱら話は父の話になることが多く、叔父がいかに父を尊敬していたかがよくわかります。

 

当時は父と喧嘩を常にしていた時期でしたので、以外な側面でした。

 

叔父が父の事をあまりにもよく言う事が、その後父とのいさかいを僕の方からやめようと思えた一因だったと思います。

 

その叔父も40歳で肝臓がんが発症し、そのまま42歳で亡くなります。

 

あまりにも早い死でした。

 

マックスファクターがSK2と合併して、叔父はそのまま支社長になろうという話が出ていた矢先だった気がします。

 

葬儀の日に皆が手際よく動き、父が葬儀を仕切っていました。

 

翌日出棺だから、家に帰りなさいと言われ、皆を送り出してから僕もかえるつもりで父に挨拶にいくと、

葬儀場の祭壇の前で一人声をあげて泣いていたのが父でした。

 

血縁のない関係でしたが、弟として42年間の間親子のような関係でいたはずでした。

 

僕はそっと帰ったのです