認知症の物忘れをよかったと思えるようになるまでというのはよほど精神が成熟した方なのだろうと思います。
先日みた韓国ドラマでご夫婦の奥さんが認知症になった方の話があって、このご夫婦は最後は奥さんを安楽死させてしまうのですが、裁判中にご主人がいうんです。
妻が認知症になってよかったと思えたのは、毎日が新鮮で新婚の時に奥さんの気持ちが戻っていた事です。
それだけに、奥さんの気持ちを最優先してあげたかったと裁判中に陳述します。
それでご主人や海外で安楽死の道を選びます。
奥さんの最後の望みが安楽死だったのです。
今日の午前中に母のところにコーヒーゼリーを買っていきました。
なんだい?そんなもの。買って。
あんた学校は?こんな時間になにしてるんだい!?
学校?今日は午後からだから。
午後から?ちゃんと勉強しないと受験困るんだよ!
母の頭の中では僕はどうやら高校生のようです。
うんうん。わかったよ。これから行くからさ。
ならいいけど・・・ちゃんとがんばってね!
高校の頃
僕は実際の高校生の頃も母に勉強しなさいと言われたことはありません。それどころか、心臓病だった僕に対して勉強なんてしなくていいから早く寝なさいと言われていました。
本当は、勉強しなさいと言いたかったのでしょうか?
試験でいい点数の時も悪い点数の時もありました。
きっと母は思う所はあったのでしょうが、僕には一言も結果に対しては言ったことはありません。
ご苦労様、試験大変だったね。
そのくらいです。
大学の受験もそうでしたし、僕は自分のわがままから、一般の大学を出してもらったのに、その上で鍼灸の専門学校も行き、上海の医科大学も行き、さらに武蔵大学の臨床心理学部にもいく事になります。
もちろんお金はだしてはもらってはいませんが、母が言うのは勉強しなさいより、体の心配でした。
なので、今日の勉強しなさいは新鮮でもあり、また複雑でもあります。
ほんとうは、実は母は僕に勉強してもっとなにかしてもらいたいことがあったんじゃないのか?と帰り道に自問自答しました。
本当はどうだったのでしょうか・・・
答えなんてあるわけもありませんし、また明日になれば今日の事は母は忘れているでしょう。
認知症の家族は苦悩の日々なのです。