札幌は昨日の雪がかなり残っていて、道路も気温が高ければ溶けるのですが、本日は一日中マイナス気温の模様です。なのでアイスバーンで溶ける感じではなく、ずっと凍った道路の一日です。
母のところも、近いとは言っても5分くらいは歩くので、下をずっと見ながらの歩行となりました。
途中の信号で信号無視のトラックが走ってきて危うくという状態でした。
運がいいのか、ふと顔をあげたときにトラックが突っ込んできたので後ろに下がり危機一髪で助かりました。
昔から何度も何度も危険から守られている気がしています。
心臓の手術をしたときに、入院した時には助からないのでは?と思っていました。
僕の人生は26歳で終わるのかと思い、入院した病室の窓の外の景色を眺める日々でした。
そんな中、心臓の体外手術という話になり、その後生きて病院を出られたときには、今後鍼灸師として一人でも多くの人を治療して助けられたらと思ったものです。
大げさではなく、神仏の助けがあったと本気で思っているのです。
恩返しをしたく母にその話をすると、早く開業してもいいんじゃない?と50歳前後だった母は僕に言ったものです。
僕は病院勤務を数年で切り上げ開業することにしました。
いばらの道とはいいますが、開業とはまさにいばらの道を歩くようなものでした。
最初の頃こそ、それまで病院で治療をしていた患者さんが大勢来てくれました。
脳外科や、リハビリ系の病院に勤務してましたので多くの慢性疾患の人が治療に来てもらえましたが、1年経過し2年経過しその方たちの治療が終了したり、亡くなられたりでいなくなってくると途端に経営が行き詰まりだします。
もともと、商学部出身ですので、経営は大丈夫なんて思っていたのが甘すぎでした。
その月の支払いをどうしようかと毎月悩む日々でした。
それでもなんとかやってこれたのは、メンタルが折れなかったにすぎません。
一人でチラシを毎晩配りました。
3000枚のチラシを印刷して、一軒一軒のポスティング。
足が棒になるというのはこんな感じかなと思いながら、もくもくと歩きました。
母は、地下鉄の駅の出口で毎日100枚程度を配ってくれました。
そんな苦労が今につながるのです。
