一日の終わりに、帰り道いつも考え事をするわけです。

で、自宅近くのコンビニで、コーヒーを入れてもらって車の中でぼんやりと飲むのが習慣になってるのです。

 

コンビニって明るいのです。なので暗い気持ちにはならず、コンビニの明かりが車の中まで照らしてくれて

暗くはなりません。

まずは、一日の反省です。

もう少しこうした方がよかったんじゃないか?とか、ここの経穴を使った方がよかったとか、ここの説明が足りなかったんじゃないかとか。

 

考えると尽きません。

時には亡くなった父親や、叔父の事を考えたり祖母の事を考えたりもするわけです

 

あまり多くの会話はしなかったはずの父親からわずかな言葉や会話しかしなかったと思うのですがその時その時に心に刺さる言葉を思い出すのです。

 

なんていっても、父の葬儀の時に、父の同級生だという人が挨拶にやってきてお父さんは、あなたが息子さんだね。いつもあなたのお話しを聞かされていたんだよ。お父さんの自慢の息子だったんだよ。

 

 

この話は僕の中で衝撃でした。

 

出来が悪く言う事を聞かない息子として、さげすまれていたとばかり思っていたのです。

父の言う事を聞かずに、勝手に進路を変えて大学は商学部に行き、父の医療法人に勤務するも経営方針を巡って対立。

そのまま病院を退職し、勝手に開業。

 

そうしてずっと親の手を借りずに生きてきたと思ってきました。

 

ところが思ってきたのではなく思い込んできただけだったのです。

 

考えてみると、開業の時にお金をまったくもたない僕のようなものにお金を1000万も融資してくれた銀行は、実は裏で父が動いていました。

 

数年間、自分の力で1000万なんて借りれるんだと豪語していた僕は、後に父がそこの融資担当の専務に事前にお願いに行ってた事を知ったのです。

 

父の口添えがあって、父の息子だからこそ、金融機関はお金を貸してくれたという事なのです。

 

それが分かった時のショックはその時まで生きてきて最大のものでした。

 

父の葬儀の時に、なんとかこの後の親孝行をしたいと思った事が、日曜のお寺の法要に参座する事でした。

それが正しいのか間違っているのかわかりません。

でも、やれることはもうすでになかったのです。

 

そんなことを漠然と考える事もまたあるのです。