毎週日曜は、たいていは新栄寺の、護摩法要に参列。

これが8時~9時過ぎくらいまで。

その後は、まっすぐ神宮に行き、神宮でお参りの後に、去年亡くなった愛犬ビビの法要をしていただいた札幌御嶽神社へお参りします。

これでだいだい午前中はかかります。

帰りにそば屋によったり、昼ごはんを食べて帰るパターンが多いのです。

毎回の新栄寺の住職さんの説法があり、毎回毎回話を変えてくるので楽しみの一つでもあります。

普段からお寺に来ない人や、親戚や血縁を大事にしない人はダメなのです。

皆さんの事をもちろん言っているわけじゃありません。

皆さんはこうやって来ていただけているのですから素晴らしいことです。

ご先祖もきっと喜んでいることだと思います。

おなかがすいてから、畑を耕しても、喉が渇いてから井戸を掘っても間に合いません。

神仏のご加護をいただきたいと思うのであれば、普段からのお参りはかかせません。

その通りだと思います。

僕は最初は父の事からでした。

父が突然になくなり、突然死は残されたものにとって何より衝撃的なことでした。

僕は父から嫌われているとばかり思っていましたので、父の思いを知ることは亡くなるまでありませんでした。

亡くなった父の葬儀の席で父の友人達から、いつも父と会うと息子さんの自慢ばかりしていたよ、あなたが息子さんなんだね。

聞いていたとうりの立派な方だとお見受けしましたよ。

ビルを何棟も立てたり、心臓が悪くて大手術をしたとか、心が折れそうになる場面でもあいつは一人で谷底から誰の力を借りずに立ち上げって這いあがってきた立派は奴だと言っていましたよ。

数人の父の友人から葬儀の参列のお礼を話していた時に話しかけられて、初めて父がそのように見ていたことを知るわけです。

この時から、亡くなった父にできることを考えて、亡くなった人に最大の供養はお寺で法要に参列してあの世での力になることだという話を聞き、もう7年の間毎日曜にお寺に行く事にしました。

当初の理由はそうでしたが、昨日の住職さんの言うとうり、結局は自分の為なのです。

井戸を掘ったり、畑を耕すという事と同じく、法要に参座していつでも神様、仏様にお願いをできる状態にしておくという事なのです。