鍼灸の専門学校を卒業し、国家資格を取得したころの話です。
専門学校の先生に、先生、整形外科的な疾患は治療法が鍼灸ではいろいろと発表もされているし、学校でも習いましたが、内科的な疾患や精神疾患、脳神経などあまりやらないですよね。さらっとしか習ってない。
そうだな。それは日本の国の厚労省が整形外科疾患以外は鍼灸は効果ないと思ってるか、それ以外はやらせないという姿勢なんじゃないかな?だから教科書にも載ってない。
厚労省が教科書編纂はするのだし、それが元になって国家資格の試験は作られるんだし。
そうなんですね。でも、中国の医学書などにはたくさん、内科の疾患の鍼灸治療が載ってます。糖尿病だったり蕁麻疹だったり、胃潰瘍だったり。日本と違いますよね?
中国や韓国では鍼灸は一般的に内科などにも行う。日本とは違う。
なので、中国の中医師や韓国の韓医師と日本とは違う。あくまで日本は鍼灸師なのだから。
医師とつかないのは、日本の国にその姿勢がないからなんだよ。
なぜですか?理由は?同じ東洋の国なのになんでですか?
さぁ。僕にはわからない。もし追求したいなら、まずは中国にでも行って勉強したらいい。日本の国を変えたいなら、まずは業界の団体の上に上がるしかない。
そうですか・・・わかりました。
その後は、僕はまずは中国に行こうと考えました。
当時は伝統中医学がとても盛んな北京中医薬大学、現代医学との融合を目指し医学的根拠に西洋医学をおこうとする上海中医薬大、脳卒中治療で有名な天津中医薬大、他にも日本人の受け入れをしている大学は黒竜江省中医薬大や、仲景国医大学など複数ありました。
自分の考えとそれとなんといっても父親が幼少期に数年過ごした上海に行きたいと強く思うようになり上海中医薬大に行こうと決めたのです。
その数か月後に、僕は上海の街にいました。
空港を降り立ち、上海の街にはいりここが父が過ごした街なのかと感慨深く感じました。
当時は父はまだ生きていましたので、上海の街についていろいろと質問をしたのですが、思い出したくない思い出なのかあまり答えてはもらえなかったのです。
父は上海を出てから、サハリンの豊原に移り住んでいます。
サハリンは楽しかったのか、サハリンの話をよくしていました。
上海になぜ決めたのか?はこういう理由でした。