今日は午前に母のところにいくと、ひどく不機嫌になっています。

そういう時も認知にはあります。

なにか面白くないことがあるのでしょう。

 

 

僕が行くと、何しにきた?

 

いや、今日はおやつもってきたよ。一緒に食べようねというと、

 

 

うるさい、食べたくない。

 

おいしいよ。大好きなローソンのどらもっちだよ。

 

そういって、半分にして手渡すも、そのまま床に捨てられてしまいました。

 

そっか、いらないなら今日はなしにするからね。また明日だね。

 

 

明日も明後日もいらない。そんなもの見たくもない。

 

 

今日は便秘でもしたの?調子悪いのかな?

 

うるさい、おまえになに関係ある?私が便秘だろうがなんだろうが、おまえに関係ないんだ。

 

そっか、ごめんね。

 

数か月に一度くらいはあるんです。今までブログには不機嫌な事を書いたことはありません。

それは書くと書いているうちに悲しくなったりしちゃうのもあるし、母の名誉の為でもありました。

しかし、まあ、これも認知という疾病のためです。

通常は大脳皮質部分の理性がこういった感情をコントロールして外に出さないようにするものなんですがそこがもう失われていますので、思ったことがそのまま出てしまいます。

きっとなにか気に入らない事があったんでしょうが、それがそのまま引き続くのです。

 

考えてみると人間っていうのは理性があるから感情の防波堤になって社会は維持されているのです。

 

人と人で思う事や考えることは違いますのでぶつかる事はもちろんありますが、感情的にならないのは

大脳皮質の理性のおかげです

 

この理性は子供のころにはまだ未発達ですので、ある程度成長していかないと発達してこないし、

その発達も周囲の環境、親の育て方などにかなり影響を受けます。

 

そうして、70歳代、80歳代になり理性は失われていきます。

 

いわゆる子供にかえるといいますが、文字道理理性の未発達の状態に戻っていくのです。

 

 

理性は資本主義国では高度に発達して、社会主義国では低度じゃないか?と思っています。

 

というのも、競争社会の資本主義では高度発達しないと周りとぶつかりますし、競争社会にない

社会主義国では高度に発達する必要がないからです。

 

プーチンが戦争をやめないのはもしや、理性脳の発達が低レベル??と言ったら失礼でしょうか?