5月3日は父の命日でしたので、お墓まいりに行ってきました。
父のお墓にはかなりお花が飾ってあり、どなたかが命日と知ってて来てくれたに違いありません。
弟は3日は仕事で行けないと言っていましたので、父の知り合いのどなたかが来てくれたのでしょう。
父もうれしかったに違いありません。
前にも言いましたが父は病院を運営していました。
医療法人なんですが、父が運営に携わったときには病院は赤字の経営でした。
僕は当時中学生くらいでしたが、父は病院の運営の話を僕に話をしてくれたことがあります。
俺が病院の運営に入ったときには病院は赤字の経営で銀行から毎月運転資金を融通してもらいながら、返済をしていたような自転車操業だったんだ。
そうなんだ。理由は?なんでかな?
そもそも経営を統括的に見れる部署がなく、医者は医局でのさばっているし、薬局も看護師もそれぞれ分野で偉そうにしてたけど、経営を統括している部署がなかったんだ。
うん、それは個々勝手に動いちゃうね。
そうだ、それに統括できるはずの事務局はとても力が弱く、診療部門や看護検査部門の言いなりだった。これを買ってくれといわれりゃ買うしかないような診療部に意見を言う事も出来ない状態になっていたんだ。
なるほど。そこに原因があったんだ。
そうだ、だから事務部門を中心に経営を総括できる部局を医局をはじめとすると診療部門、検査、看護、介護の上に作ったんだ。
そうなの?
経営戦略本部というのをトップに置いた。
ここの本部長として、俺が就いたんだけど、他のメンバーは事務局を中心に医局からも薬局からも看護からも数名づつ経営戦略本部の所属にしたんだ
事実この後に、劇的に医療法人の経営は効率的になり、相互の部署を相互に監視できるシステムが構築されました。
一番喜んでいたのは、事務部門に勤務していた事務職員と、検査部門や看護部門といった一番上に上がっても総婦長や事務局の事務長にしかなれなかったのが、経営戦略本部の本部長、副本部長といった医師と並べる職制の部署を作ったことだったのだろうと思います。
事実、父が引退した後にも本部長と言われる人は、事務局出身の方が就いたり、看護師長だった方が経営本部長になったと聞いています。
その頃の部下の方はいまだにお墓に来ていただいてるようです。
そのうちの誰かだと感じました。
