少し雪が降りました。

それも、今日は割と天気がいいのでだいたいは溶けてしまっています。

明日は雨らしいので全部溶けるのだろうと思います。

 

父の話1

 

 

父で困ったことは食事の件です。

もともと上海に島根から移ってから、中国との関係がまずくなって一家は島根に帰ったのですが、一家で4名とか5名とか人数を決められて船に乗れなかったのが父です。

この時の記憶はあまり父自身も覚えてないので、かすかな記憶しかありません。おそらく年齢的には小学校入学前だろうと思います。

精神的にかなりショックな出来事だったのでしょう。

幼い子供にはあまりにも両親に捨てられた記憶は大きく、自分の中で封印したのではないかと思います。

おそらくではありますが、何年も中國の地でまともに食べられなかった幼少期を過ごしたのだろうと思います。

その父のトラウマは大人になってから現れていました。

それはひとつには、食べ物の異常な執着です。

エビが大好物だった父は、日曜なんかは朝から晩までエビを剥いては食べるという行為を繰り返し、朝から日本酒を好きなだけ飲むという狂った食生活を40歳代から送っていました。

40歳代から糖尿の診断を受けていた父が、おそらく糖尿病性の白内障や糖尿病からくる腎臓機能障害になると思っていた僕は、そのころは30歳代。

50歳代後半の父と30歳代前半の僕は、会うと食べ物の食べ方で大けんかでした。

父の恵まれなかった幼少期を考えると、注意する事は心苦しいのは心苦しいのです。

でも、いく末が見えるだけに言わないわけにはいかずに、何度も何度も言い合いになったのです。

実の親に対しての口の利き方か!!との言い分に、親だろうがなんだろうが、間違ってる事には間違ってるというのが僕の生き方ですと生意気な僕の言い方に、もう二度と家に戻ってくるな!と言われたものです。

半年くらいは帰らなかったりしたのです。

それでも、母からお酒の飲み方が普通じゃないとか、食べ方が異常だと話を聞き、父に言いに日曜なんかは意を決して行く事がありました。

今から考えると父に必要だったのは、癒しでした。

一人で戦ってきただろう社会にまた、幼少期のトラウマが癒える事もなく中年期高年期を迎えた父には

もっと癒せる事が必要でした。

深く反省するのです。