古い話ですが、高校生の頃に、硬式テニス部でした。

運動部に入ったのは学生時代も含め、この時だけで小学生も中学生の時も運動は禁止でしたのでテニス部に入ることは、ある意味自分の中ではものすごい意を決した事実でした、

 

そのころの話は書きましたので、その後の話です。高校2年の時に、もともと運動神経がよかったのか、札幌市の高体連ではシングルスで3位入賞くらいになって、そのまま全道大会に出場しました。

結果的には、全道で16位の成績で終了し、もう一つ勝てば、ベスト8で全国も見えていました。

 

 

先生たちからはテニスを始めて1年半でこの成績はすごい、がんばれば全国レベルのプレーヤーになれると絶賛もされ、自分でもその気でした。

 

が、3年に上がってまもなく、僕はテニス部を辞めることにしました。

 

やはり心臓にかかる負担は自分でもわかるくらいにひどく、動悸が毎日止まらなくなってきました。

すべては命あっての事です。

これはもうダメだろう。・・・続けることはできない。

そう思ったのです。

 

残念な事でした。

 

父も母も意見をすることなく、部活動をするときも、辞めるときもなにもいいませんでした。

そもそもそういう教育だったのです。

自分の事は自分で決める。その代わり後悔はしないこと。

その教育方針の中、母も息子の体が悪くなるだろうことをわかりながらも、黙っていてくれたのです。

 

北大病院にこっそり両親に言わないで行ってみると、やはり心臓には多大な負担がかかってきていました。

 

渡邊くん、親御さんと今度きてくれるかな?ご両親にもお話ししたいことがあるから。

 

高校3年の夏過ぎの事でした。