今日は午前中は診療は休みでしたが、朝9時には母親のところに行き、その後は銀行に行って支払いをしたりマンションの売買の契約をしたりで、終わったのがもう12時半を過ぎていました。
母のところに行き、いつものようにトイレの回数を聞いたり昨日よく寝れたのかどうかを尋ねたり。
足が車椅子生活で張ってしまっているので、ふくらはぎをマッサージして、肩を少し揉んでみます。
僕が行くといつもやる事なのです。
あ〜、気持ちいいね。ありがとう。
あんたは今日はこれからどこに行くの?そんなスーツなんか着て。
ん?いや、マンションの売買の契約なんだよ。それでなんだよ。
あ〜そうなんだ。お父さんはあまりうまくいかなかったけど、あんたはうまく行ってるね。
うん。そうだね、とりあえずはうまく行ってるね。
父はもともとは設計事務所と不動産ブローカーみたいなことをやっていました。
土地を見つけ、その土地を購入したい人に買わせて、設計をして金融機関も紹介するという完全なるブローカー業です。
最後にやっていた病院建築が、運営がうまくいかずにそこの経営をやり出したのが、父の病院経営の発端でした。
どこかの医療法人で経営学を学んでいたわけでもなんでもなく、ただ、赤字の病院を自分のネットワークの金融機関からお金を借りて運営を立て直すということでした。
それでも最終的には医療法人の中で病院を4軒、診療所一軒、老人施設1軒と運営をしていきました。
剛腕と言われていた経営者でしたが、ブローカー業と比べたら優しいものだったのでしょう。
しかしそれもそのうち赤字転落して、累積赤字が増えだめになります。
父は人を使うのが下手だったと思います。
母の目から見てもそう見えたのでしょう。
お父さんは、とにかく曲がったことがだめな人でさ、それに浪花節だったからね〜
父は、支払ってもらう約束のお金を、自分からは言い出さずに男が一度払うと言ったんだから、こちらからは催促しないとガンとして融通の聞かない人でした。
不動産ブローカーというのは口約束が多いのです。
買う人見つけて、購入してもらったら1%払うからとか、3%出すから見つけてくれなんていう地主さんが多くいて、それで買う人を見つけるのです。
契約書もかわさなければ、お互いに請求書も出さない。
そんな時代だったのです。