午前に母のところに面会にいきました。
ちょうどまたまたタイミングが悪く、お風呂にはいってましたので少しまっていました。
15分くらい待ったでしょうか。
母が車いすでやってきて、あらら、どうしたの?こんなところで?
うん?待ってたよ。お風呂に入ってたんでしょ?
え?いやいや、まさかお風呂になんて入らないよ。
え?そう?入ってるって聞いたけど。
そう言いながら髪を見ると、少し濡れていてドライヤーで乾かしたでしょうけどまだ濡れています。
実際にはお風呂にはいったのは間違いないでしょう。
今やった行動も忘れるようになってしまったようです。
どっか行ってたの?
うんうん、ちょっと外に買い物。
そうなんだ。タイミング悪くきちゃったね。少し待ってたけど15分くらいだったよ。
そうなんだ、なら連絡くれたらよかったのに・・
時間ならあるから待つのはいいんだよ。
認知症の人には否定してはいけません。もしお風呂に入ったのが事実だとしても、本人が入ってないというのであれば、入ってないで話を合わせないといけません。
買い物に行ったというのであれば、買い物にいったで話は合わせる必要があるんです。
美味しいもの買ってきたの?
うん?いやいや、なにもないよ。いつもと同じものしか買わない。特別なものは買わないからさ。
元気なころ、母はいつも近所のスーパーに一人で買い物に行っていました。牛乳も卵も、ヨーグルトも
納豆もですが冒険することは一切なく、同じメーカーの同じ商品を何十年も買い続けました。
僕は買い物にいっても、たまに違う銘柄の納豆を買ったり、違う銘柄の牛乳を買うのですが、母は知る限りは一度もありません。
気に入ったものはとことん買う人でした。
父は逆で、いつも違うものを買います。
それで失敗もあり、成功もあり。
夫婦の間の会話はいつも買い物での買った商品のいい悪いでした。
今から考えると、父は会話のためにワザとにしていたのではないかと思うのです。
母は味が変わるのを嫌います。それで父はわざとに違う味の納豆や違う味の牛乳を買い、試すのです。
そんな会話をしているのを何度か見ました。
ほら、おまえの舌は間違った。今日の牛乳はいつもの生協牛乳じゃないんだ、明治牛乳だ!
間違うと大喜びの父と悔しがる母を何度も見ていました。
