今日は9月7日で母の誕生日です。

今日で満90歳になります。

 

昨日、母のところに面会にいき、90歳が明日だから89歳は今日が最後だよね。というと、この年齢になると別に誕生日を意識することはないよ。一日一日過ぎるだけ。

老化というのは、感情も老化するものなんだねぇ。うれしいとも思わなくなった。

 

 

そっか・・・・少し立つ練習しようか!

 

いやいや、もういいよ。立って歩いたところで何がある?自分でなにかできるようになるかもしれないがそれはもういい。誰かがやってくれてこうやって死ぬこともなく生きているんだから、人間は立たなきゃいけないとか歩かなきゃいけないってないんだよ。

 

そうだね。それは健康の人を基準に考えただけだものね。しかも高齢者ではないから。

 

そうだよ。もう年は90歳。いろいろなところがダメになり最後は心臓も止まる。

その手前なんだから、立たなくていいだろうさ。歩かなくていいだろう?それが老衰の最後の最後の手前って段階の人間の心境だよ。

 

確かに、すべての基準は健康で生きていくという事を前提に考えられていて医療も、国中のすべてが歩けることが正しい、元気でいることが正しいという基準の中にいるわけです。

 

でも、基準の外にいる人だっているんです。障害者もそうですし、高齢者だってそうなのです。

基準の外にいる人を、基準内に戻すことが幸せなのでしょうか?

それが正しい?事なのでしょうか?

 

人間の在り方を考えさせられます。

 

あんたは、医療者として長年働いてきたけどさ、優等生過ぎるところが欠点だねぇ。そんなんじゃダメだよ。

 

うん。そうだね。確かにいう通りなのかもしれない。

 

 

明日は母は今日言ったことなど覚えていないでしょう。

記憶がダメで、認知症なのです。

でも、その場その場の受け答えにはハッとさせられるものもあり、今日のように勉強になることも多々あります。

 

認知だからといってひとくくりではいけません。

 

肝に銘じないといけません。