僕は新聞配達を小学校4年の時、6年の時、中2になってからと3回ほどやっています。
小4の新聞配達は、以前書きました。
先生が新聞配達をやっているのを知り、その先生は雨の日なんかは手伝ってくれたのです。
父親は僕が中2の時に突然帰ってこなくなりました。
当時やっていたのは不動産ブローカーで、設計事務所の運営です。
なにか、住宅だけじゃなく社屋をたてたり、倉庫を建築したり、役所の仕事だと橋を作ったり公民館的な
ところを作ったり。
土地を見つけては建て主さんを納得させてそこに建築させるなんて仕事なわけです。
そういう一連の仕事の中では、スムーズにいくこともあれば、トラブルが発生することもあるわけです。
土地を見つけるときには住んでいる人がいたりすると、そこを地上げしますのでちょっと品の悪い人達をつかったりもします。
その中には金額の交渉で問題が発生したり、極道者の中には、約束した金額と違う金額を言ってくることもあります。
書面にきちんと残してるなんて場合だけじゃありません。口約束なんてこともあるんです。
中2になって、父は極道者に狙われたらしく、家がわかっているので家には帰れなくなり、しばらく札幌からは離れました。
そんな事情は僕はわかりません。
母は父からしばらくかえって来ないつもりだから、ほとぼりが冷めるまで凌いでくれとでも言われたのでしょう。
母はさして慌てる様子もなく、僕がお父さんはどうしたの?と聞いてもしばらく仕事で帰って
こないからというだけでした。
さすがに二か月もすると、中2の僕もこれはただ事ではない。おそらく失踪したに違いない。
と思う事になり、僕は働くことにしました。
とは言っても、中2です。
働ける仕事は限られているし、中2の頭では新聞配達くらいしか思いつきません。
母には内緒で新聞配達をすることになるのです。
さっそく僕は新聞配達の面接にいき、同じ新聞店の北海道新聞で働くことになりました。
一哉君、3年前も来てくれたね~。また働いてくれるの?と、そこのおかみさんに言われて
はい、いつまでかはわからないですが働かせてくださいと面接は合格。
翌日の朝刊から働くのです。
この時は、半年の間働かせていただきました。
半年後に父が戻り、働く必要もなくなったのです。
冬の雪降りを見ると思い出すのです。