昨日は叔父と父の話を書きました。父と叔父はおそらく15歳以上離れていたと思います。
父が高校生になるころにその家で弟が誕生することになりました。
同時に出産近くに、養父が亡くなります。
一家の大黒柱は父になったはずです。その頃は15歳。
釧路に転移した理由はそのあたりにありそうです。阿寒では仕事がなかったという事なのかもしれません。
しかし15歳の高校生で仕事があったのでしょうか?
父は、新聞配達も牛乳配達もやったと僕が成人してから教えてくれたことがありました。当時そういう状況だったのだろうと思います。
その中でよく高校総体まで出たものです。
全国に出場する事になったときにどうやって旅費、遠征費を工面したのでしょうか?生まれたばかりの弟がまだ2歳とか3歳です。どうやって育てたのでしょうか?
考えると胸が苦しくなるくらいに苦労をしたのだろうなと思うのです。
僕とは違い天才肌であった父はいろいろと考え、きっとなんとかしたに違いありません。
父の天才肌は数字の記憶力に出ていました。
病院の運営をしていた40歳代、50歳代当時には職員の携帯を全部覚えていました。
一度、本当なの??と聞いた時に、普通にたぶん覚えているよというので個人情報保護法もうるさくなかった当時でしたので、職員名簿というのがあり、電話番号を言ってみてと質問すると、全部答えていくのです。
どうやって暗記したの?と質問するも、いや暗記なんてしてない。普通に一度読んだだけだから。と言っていてあ~この人は天才レベルなんだなと思った事がありました。
僕はその天才肌を遺伝することもなく生まれてしまい申し訳なく思った事がありました。
後日、勤務している病院の医局で医師たちにその話をする機会がありましたが、一人東京大を出た先生がいて、東大でもそのレベルにはお目にかかった事がないからそうとうなレベルだよと言ってたのを
思い出します。
男の子は皆、自分の父を超えることを目標に生きていると言われていますが、僕はその時に
一生超えることはないだろうなと思ったのです。

