今日も母のところにいき、母のところには花束があり、だれかにもらったの?と聞いても知らないと言います。

いきなりここに花が生えてくるわけもないので誰かが持ってきてくれたのでしょうけど、皆目見当がつきません。

ただ、何人かはうちにきている患者さんも行っていただいている人もいますので、そのうちのどなたかかもしれません。

ありがたい事です。

母には刺激が必要だと思って行く度に話しかけます。

昨日は寝れた?ご飯食べた?おいしかった?なんか飲んだ?どっか痛いところはないの?

もう行く度にこの話をします。
そうすると帰ってくる答えも同じです。

寝れた、食べたかな?おいしいかどうかはわかんない、飲んでない、痛いところはない。

ご飯を食べた記憶はいつもなく、寝れなくてもいつも寝たといい、味はいつもわからない。
返答は一緒です。でも聞くこと、返答する事に意味があり、答えが正確かどうかはどうでもいいことなのです。

高齢者との付き合いは根気です。

父の生前言われたことがあります。

今を耐える事。答えはわからないが耐えなければその先の答えは見つからない。
今を耐えるんだよ。

今を耐えると言われ、そんな事できないと何度も思いました。

父のそう言われた時には、なんだかわからずはい、わかりましたと返答しました。

我慢が足りなかった僕は、高校も理系から文系に変更し、父の希望からは外れました。

我慢が足りなく、病院勤務だった時には院長と言い合いになり経営中心の考え方の院長と対立してしまい、僕は病院を辞めることになりました。

すべては耐えられなかった自分に責任があります。

それからはどんな事でもどんなにつらくても、今を耐えることと父の言いつけを守ってきました。

母の同じことの繰り返しもきっと我慢できるのも父のおかげなのだろうと思います。

きっと、父はいつかこんな日がくるのをわかっていたのでしょうか?