自宅の僕のデスクには父の写真があります。
父が60歳代後半の頃に、洞爺湖の遊覧船に乗った時の写真です。
父とは喧嘩が多かったので、穏やかに話をしたことがあまりありませんでしたが、この写真はおだやかな顔をした写真です。
父から見ると俺の言うとうりに生きていけば必ず不幸にはならないから俺のいう道を歩くんだという気持ちが強く反発ばかりしていました。
息子からすると自分のやりたいことは自分で選ぶ、逆に父親のいうようにはさせないみたいな意識が働き、父のいうようには生きたくありませんでした。
息子と父親というのはいつの時代もそういうものかもしれませんが、父親は特に孤児でしたのでその思いは強くあったようです。
きっと僕がわからない苦労は山のようにあったはずです。その多くは、普通の家庭に生まれてきていたらしなくてもいい苦労だったはずです。
生きているときには話も聞きもしなかったくせに、亡くなった後に話したいと思うなんて我儘な奴だと思います。
今は母をしっかりと守る事が父に対する恩返しになると信じて母を見ています。
父は、仕事を引退してからはおとなしくなりました。
それまではかなりイケイケのタイプでしたので意外でした。
年をとって我儘放題になるタイプもいれば、おとなしくなって意見を主張しないタイプもいます。
父は後者でした。
例えば昔なら、昼に食べるものをそばが食べたいと言えば、そば以外は絶対にダメで、家族がなんといおうがソバのみでしたし、日曜に買い物に行きたいと言えば、どうしても買い物でした。
ところが60歳半ばを過ぎてから仕事を引退し始めて、自分で二社ほど経営しましたがその頃からは強く主張しなくなりました。
会社も保険代理店もやり、ヘッドハンティングの会社もやってました。
ヘッドハンティングの会社は、文字通り、会社の人材を引き抜きをかける仕事ですので、僕も何度か手伝いましたが、大変な仕事でした。
塗装会社の実務担当責任者クラスの例えば、支店の支店長クラスが欲しいと言われれば、同じ業界や隣接の業界から同クラスの人材を探して、接触します。
引き抜きにかかる契約料、年棒を提示して心が揺れる人もいれば揺れない人もいます。
年収800万の人は1200万を提示されればやはり揺れるものでした。

