母のところに行ってきました。風邪っぽいのも大丈夫かなと思ったのです。

母はボヤッとしていましたが、すぐに気が付いてました。

あら、あんた来ていたの?

うん、今来たばかりだよ。体調はどうかな?

体調はいいよ。悪くない。別に食欲もあるし。

そう。よかったね。

あんたさ、あの時の話し合いで、発言しなかったね?

ん??話し合い?

斎藤のおじさんとおばさんが来て、親戚みんなで集まったでしょ!

時代は昭和33年になるかならないかくらいだったのでしょう。
母のその母、つまり僕からみると祖母ですが、6~7人の兄弟姉妹でした。
祖母が一番上でしたのでその下にずらっと6人くらいがいたのです。

当時は根室、釧路、厚岸あたりの道東に散っていました。

おそらく2番目の妹の子供さんが女の子なんですが20歳くらいになったくらいの時期です。
北大に在籍していたのですが、アメリカ人のキリスト教系の布教にやってきていた留学生と結婚をしたいという事になり、しかもサンフランシスコで暮らしたいと言い出したのです。
しかも北大まではいりながら、中退をすることに、親戚が集まって相談したという事実が実際にあったそうです。

その方は僕の大叔母になるのですが、のちに国境なき医師団のアメリカ事務局長になり、紛争地域に出向き、医療活動を行うようになる方です。

あんたはさ、なんで反対しなかったの?

うーん。でもその人の人生でしょ?意見は言うもんじゃないんじゃない?

違うよ、ドブに足を落としそうな人をみて助けないのと一緒だよ。

母にはそう見えるようです。人生をドブと一緒にはできないし、そもそもそこを比較したらそりゃってなるけどそれよりも、重大な事は、時間軸です。
母の時間軸は数日前くらいの勢いの記憶ですので、強い記憶なのでしょう。
母はまだ若かったはずです。
25歳とか、26歳とかそのくらいのはずです。

その後の結果論では大叔母は、ハーフの子供も産み、医師団にボランティアで加盟。
その後に事務局で上に上がっていきます。

僕は当然生まれていませんし、この話も後々に聞いただけです。

この会議の主要メンバーの祖母の兄弟はみんな亡くなっていますし、祖母たちの子供ももう母を筆頭に高齢者です。

実に時間軸が面白いわけです。

また話そうね。仕事いくね。

続きはまた。