母の七夕の願いは【金持ちになる事】でした。
今日は七夕・・・願いは聞き入れてくれるでしょうか。
皆さんは長生きしたいとか、元気で過ごしたいと書いている人が多かった気がします。
子供の頃はそういうイベントごとにはまったく両親は無頓着でした。
クリスマスも仕事で子供にプレゼントなんて買った事もあったのか?というくらいの感じでした。
僕も特にクリスマスだからとか誕生日だからというのが当たり前になにもないのが普通だったのでイベントでなにかをするような家庭でもなくすごしていました。
夏休みになる前に、夏休みはどこいくの?とか、どうするの?とか聞かれましたが一度も返答しないまま
夏休みになりました。
小学生の時に一度、中学でも一度だけ父の故郷の釧路に行きました。
母の生まれ故郷の根室は一人で中学の頃に行きました。
父の故郷ではありましたが、父には身内がいないために、母の兄が釧路に転勤になった際に転勤先に
泊めていただきました。
暑い夏でした。
釧路でも気温は30度近くまで上がったでしょう。
父の思うまま釧路の街を車で走りました。
父は高校2年の時に、釧路の高校に転入学したはずです。
それまでは阿寒高校というところに行っていました。
阿寒高校で優秀だったらしく、阿寒の先生は釧路の優秀な高校の理数科のある高校に推薦してくれて
そのため、釧路のトップの高校に転校したという事でした。
身内がいないことを父は僕におまえは、質問してこないけど俺に親戚がいないことを不思議に思わないのか?と言われた事がありました。
うん。ないよ。そう言う人もいるんだろうと思ってました。
そうか・・・みんないるものんだけどな。
いても面倒な挨拶と、ご飯を食べないといけないのだったら、いなくていいですよ。
そうだな、確かにおまえからするとそうだ。
釧路には父の血縁の人はいなかったのです。
それに父は息子にため口を許さない人でした。
間違えてため口になってしまう事もあったのですが、その時は何だ?その口の利き方は?と
必ず言われたものです。
父は親子関係というのを作った事が今までなかったので、こういうのが父と息子だと自分で作り上げた
父子関係を理想としていたのです。
今ではすごく父の気持ちがわかる気がします。
あの頃の僕はわからなかったのです。
