今では母は施設に入りましたので、毎日行っても顔を見て会話して帰るくらいの事になりましたが施設にはいるまでなかなか大変でした。
今から考えるとという事で当時は必死にやっていたんだと思います。
雨の日も風の日も、雪の日も毎日数年間の間は母の朝ごはん、昼ごはん、夜ご飯を作りに行き、夜は寝るまで一緒にテレビをみて会話したり、家の掃除をしたり、着替えを用意したりして過ごしました。
父が亡くなってもう8年経ちましたがその2年後くらいに母の認知が発覚してからになりますので、そんな生活を4年ほどやった事になります。
辛いとは感じた事はなかったのです。ただ地元を離れることができない4年間でしたので、日曜もお盆も正月も地元からは出ず、母の元を離れても数時間という短い時間だけでした。
ケアマネさんがこの事実を知る事になり、ケアマネさんからもいろいろと指摘されて施設入居をすることを考え始めましたが、母に話すと絶対に嫌だと。
あんなとこは姥捨て山でしょ?冗談じゃないよ!
そう言われると息子としては無理には進められません。
しかし今の生活が僕自身の私生活をささげる事で成り立ってる事を理解することはできるわけではないのです。途方にくれました。
よく老々介護とか、ヤングケアラーなんて言う言葉がありますが、ヤングではなかったとはいえ、介護以外の事はまったくできない数年間が続きました。
こんな生活が4年近く続き、とうとう施設を見学をすることにして、おそらく10か所は行ったでしょうか?
高齢者施設はそのくらい見にいったと思います。
老健施設やグループホーム、軽費老人ホーム、特別養護施設。
認知のある高齢者が入れる施設は限りがあり、また混んでもいます。
申し込みして半年待ち、1年待ちと言われ続けます。
また施設によっても特徴があり、トイレまでは遠かったり、規則が厳しすぎたり、介護者の数が足りないと感じたり。
様々な問題から選ぶべきか、すぐに入れるとこをを選択するべきか。悩むわけです。
しかも母は姥捨て山にはいかないと言い放つので、それをどうしようかと思ってもいました。
そこをケアマネさんに相談するとみんなそうですよ。だますしかないんです。ちょっと小旅行にいこうとか言って。
え?だます??
みんなそうやってますって。
耳を疑いましたが、最終手段はそれしかないのかと。
続く
