鍼灸学校に行った頃の話です。自分の心臓が悪く、大学卒業後に就職をあきらめて鍼灸を学ぶために鍼灸専門学校に行き、そこで鍼灸を3年にわたり学ぶのですが、学校の内容は国家試験に出るか出ないかの尺度だけで、人権の教育も高齢者や病人の心理状態やカウンセリングも、多職種の医療資格者との連携も学ばないことから、何度も学校側に質問をするのですが、なかなか話が進みません。
渡邊くん、それほどまでに言うのなら、鍼灸師になぞならずに医学部に行って医師になりたまえ。君は職業として鍼灸師を選択するのは間違っているのかもしれない。
そう言われ、もうここで意見を言っても仕方ないと思いはじめました。
学校卒業したらとりあえず上海に行ってみよう。鍼灸の本場でもあるし、医学部教育をしてるのでもっと技術もだけど中医師として鍼灸師の枠を超えてみたい。
理由はもうひとつありました。
父が上海に住んでいたことがあったからです。
父は、島根県で生まれ、その頃に他の兄弟たちと一緒に上海に渡ったのです。
そこで数年を過ごしていたのちに、中国と日本は国交を断絶します。中国にいた日本人は日本に戻る事になり中国を去ります。
時代背景は詳しくわかりませんが、満州とか言って日本は国土を広げていた時代だったはずです。
戻れない日本人もいました。
船便の人数が家族ごとに割り当てられてしまったのです。
この子は利発そうで頭もいいからきっとこの地でもやっていける。この子を置いていこう。
そう言われたのがおそらく父だったのです。
中国の友人になったご夫婦に預けられ、父は一人上海に置き去りになりました。
その父は一人で家を出る決心をするのです。
なぜかはわかりません、理由がきっとあったはずです。
家を出て、数えきれない日々と数えきれないほどの歩数を歩き、そうして数えきれない乗りかえをしたことでしょう。
ついたのは樺太の豊原という街でした。
ここでも数年過ごしたのを父は覚えています。
きっとどなたか優しい方に救っていただいたに違いありません。
父はそこで衣食住はなんとかなってたようでした。
その後やはり父は日本に帰る事を決意するのです。
そうして船で密入国を果たすのです。
ここまでの話は全て実話です。
僕はそんな父が過ごした上海に行こうと決めます。
それが20歳の専門学校生の頃だったのです。

