あんたさ、私を病人だと思ってるのかい!

母の今日の第一声です。

いやいや、どうして?そんな風に思ってないよ。

毎日毎日こうやってくるからさ。病人で大病でもしてるみたいじゃないか。

そんな事はないよ。気にしすぎだって。

来なくていいよ、病人じゃないんだし、病気もしてない。いたって健康体だよ。

そうだね。いたって健康体だよ。どこも悪くない。

でしょ?ならなんで様子を見にくるんだい?なにが目的なんだ?

目的ってそんな勘ぐるような目的はないよ。ただ、ここは僕の職場と近いから。歩いて5分とかからないくらいでさ。だから顔を見るだけのつもりで。

話ししているうちに悲しくなってきます。こういう事もあるでしょう。なにせ母は認知症なのです。
相手を思って話す事はもちろんできません。もちろん僕がどういう思いで来るのかもわからないわけです。

生きているといろいろなことがあります。
自分が病気になることも試練でしょうし、身内が病気になることも試練なのです。

母はもう5年以上前に、認知症の検査を受けました。

私が認知症?まさか・・そうじゃないことを証明してやる。

そう言って、脳神経内科にいきました。
合計二か所。
認知症外来のある頭痛クリニックにも行ったのです。

どちらも認知症の診断でした。

その時は、帰りの車の中であそこはやぶ医者だよ。最初にアルツハイマー型と言って、今日は血管型認知症と言い直したよ。

うん。そうだね。

それこそやぶ医者じゃないか?おかしいじゃん。

笑いながら言っていたものです。
5年の月日は確実に認知症を進行させました。
一番感じるのは、あれだけ相手の事を思って発言する母でしたが、思いやるとかいう気持ちはあまり感じなくなりました。
毎日来る僕に対して、昔の母なら決して、言わなかった言葉だったと思います。

それだけ認知症という疾病は、脳の記憶だけじゃなく、人間としての大事な思いやりという部分を欠如させてしまいます。

逆にいうと、健康な私たちは、そういう目線で見てあげなくてはいけないのです。

明日も来るからね、なんかおいしい物買ってくるよ。

いらないよ、病人だと思われるのは迷惑だ。顔出さないでくれ。

じゃね・・また明日ね。

そう言いながら部屋を後にするのです。