父は認知症にならないうちに亡くなったので認知症で大変だったという記憶がありません。母はその後数年して認知症の診断を受けました。

父はもともと数学的な頭脳の持ち主で計算は早かった人でした。ただ、身長は187センチで体重も80キロくらいあったと思います。僕の身長177センチでは10センチ高い事になりますので、なにかあっても支えれないだろうと思っていました。

40歳代からの糖尿病で苦しんではいましたが、本人はまったく変わらない食生活をしていましたので、どんどん悪化していっていました。
父の優秀さは、今になるとよくよくわかりますが、40歳代でも一番驚きなのは、電話帳をもたずともおそらく100軒以上の電話番号を記憶していたことです。ここにも何度か書いていますが、僕にはまったくその要素はありません。
どうやって覚えたのでしょう?
きっと覚えようと思っていたわけではないのでしょう。数学頭という奴でした。

計算も早く電卓も使わずに、小数点の計算も%も暗算できていました。
ですので、父との会話は実は、僕が劣等感に襲われるのです。なので父と会話したくないと思っていました。
世の中にこんなに計算力が高い人がいるんだと思い、僕は人間の差を感じてしまっていました。

一度かけた電話番号は決して忘れないのです。
それが携帯でも役所でも、市外局番もです。
それに、会話しながらの計算の速さはたまに、計算してるんだなっていう会話が止まる方は割といますがいつ計算してたの?っていうくらいに早い人なんです。

こんな人だったから、医療法人で多くの医師を従えて経営陣にいれたのだろうと思うのです。

以前父が、僕をその医療法人に入れようとしたことがありました。

僕はまだ開業前の青二才で、ものも知らない子供だった時代です。

それでも、この父が亡くなったりしたら僕がその代わりは絶対にできないだろうと考えていました。
経営的にもかなり大変な状況になっていたので、僕がそこの医療法人に入る事は免れました。
しかし、そのせいで金融機関からの支援は継続することが大変になったと後で聞きました。

金融機関は跡継ぎとか、世代交代とかが見える状態であることが大事なのだという事を知ったのはずっと後の事でした。